吹っ切れてというか、冷めてというか、何も考えないでというか、悩むということをずいぶん長いことしていなかった。悩まないことが良いことなのかどうかは別にして、日々お気楽に過ごしてきた。
大江健三郎『叫び声』を読んでから「青春」という言葉が頭を駆け巡る、歩き回る、転げまわる、這いずり回る。『叫び声』に描かれるひとつの青春は、私とは時代も環境も違うから、共通項は全くと言っていいほど見つからない。けれど、あるいはだからというべきか、自らの現在について思考が向かう。別に「青春」でなくても、大江の小説でなくても良かったのだろうが、たまたま『叫び声』がスイッチを押した、地雷を踏んだ。
「自分らしさ」については、悩むことなく自由に振舞うこと、思ったまま動くことで獲得できたのだと思う。その次の段階として、私自身及び周辺の環境、また自分の向かう方角を模索するときなのだろう。そのために、今は悩む時なのか。悩まずに通過できる程甘いものではない。しんどい。けど頑張る。やれるのか? …やったろう。