左腕人格分離説

眼鏡は体の一部だという人があるが、私も時計を体の一部にしてみたい。
というとなんだか変だが、時計をどこかしらにぶつけることが多くて困るのだ。
当代はまださほど目立つ傷はついていないが、先々代はど真ん中に目立つ傷をつけてから身に着ける気が恐ろしく減退した。
だから時計が左腕の一部になれば時計が傷つかないのではないかと思ったのだ。
しかし、よくよく考えてみると時計の厚みなど高々1センチメートル。本当に時計が左腕の一部になれば問題は解決するのだろうか。
もしかしたら、そもそも左腕が体の一部ではないのかもしれない。
帰ってこい、左腕。